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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)3991号 判決

原告 佐野辰春 外二名

被告 内海實

主文

原告らと被告との間において、原告らが別紙物件目録記載(一)及び(二)の土地につき通行地役権を有することを確認する。

被告は原告らに対し右土地上にある同目録記載(三)のコンクリートブロツク塀および樹木を撤去せよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

主文と同旨の判決並びに仮執行宣言

二  被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

請求の原因

1  別紙目録記載の(一)、(二)、(四)ないし(二)の各土地(以下、同目録記載のとおりA地ないしF地及び甲ないし丁地略称する。また、総括して本件各土地ともいう。)はもと訴外野村十郎又は同野村はるの所有であつたが(そのうち、D地は野村はる、E地は野村十郎の所有であつたもの)、昭和三九年頃訴外西村一郎がそれぞれ買い受けて所有権を取得し、四戸分に相当する建売分譲地としてそれぞれ分譲をした結果(ただし甲地のみは土地のみで分譲)、現に原告佐野は甲地とA地、原告池田は乙地とB地、原告磯部は丙地とC地、被告は丁地、D地、E地をそれぞれ所有するに至り、またF地は原告ら全員と被告の持分各四分の一の割合による共有地となつた。

右各地の相互の位置関係は別紙図面記載のとおりである。

2  原告らは各自被告所有のD地、E地につき各原告所有の甲地ないし丙地の各土地をそれぞれ要役地とする通行地役権を有する。

3  右通行地役権発生の根拠は次のとおりである。

(一)  訴外西村は、本件各土地を四戸分の分譲地とするにあたり、各戸の敷地から公道に通ずるための幅員約四メートルの私道を設定した。すなわち、各戸の敷地となるべき甲地ないし丁地の南側にA地からE地に至る私道部分を設け、右私道は西方においてはA地に接する公道に、東方においてはE地から四戸の共有地とする予定のF地を通り、本件各土地の元所有者である訴外野村の所有地で同訴外人が開設した私道を経て公道に、それぞれ通ずるものとしたのである。

なお、A地からF地、野村の私道を経る道は井の頭線西永福駅に至る最も近い道である。

(二)  昭和三九年九月二八日、訴外西村は訴外本宮謙二に甲地、A地、F地の四分の一の持分権を売り渡し、登記を経たが、その際、両名はA地ないしF地を共同の通路として利用するために相互に甲地のためにB地ないしE地、乙地ないし丁地のためにA地に通行地役権を設定した。

(三)  次に、昭和三九年一〇月二九日、訴外西村は被告に丁地、D地、E地、F地の四分の一の持分権及び丁地上の住宅を売り渡し、登記を経たが、その際、両名は、同様A地ないしF地を共同の通路として利用するために相互に乙地と丙地のためにD地とE地、丁地のためにB地とC地に通行地役権を設定し、かつ被告は訴外西村から同人と訴外本宮との間の右(二)の通行地役権設定契約上の地位を承継した。

(四)  次に、昭和四〇年一月三〇日、訴外西村は原告磯部に丙地、C地、F地の四分の一の持分権及び丙地上の住宅を売り渡し、登記を経たが、その際、両名は同様A地ないしF地を共同の通路として利用するために相互に丙地のためにB地、乙地のためにC地に通行地役権を設定し、かつ原告磯部は訴外西村から同人と訴外本宮及び被告との間の右(二)(三)の各通行地役権設定契約上の地位を承継した。

(五)  昭和四〇年五月二〇日、訴外西村は原告佐野に乙地、B地、F地の四分の一の持分権及び乙地上の住宅を売り渡し、登記を経たが、その際、原告佐野は訴外西村から同人と訴外本宮、被告及び原告磯部との間の右(二)(三)(四)の各通行地役権設定契約上の地位を承継した。

(六)  昭和四一年一二月一〇日、訴外本宮謙二は原告池田に甲地、A地、F地の四分の一の持分権及び同訴外人が新築した甲地上の住宅を売り渡し、登記を経たが、これにより原告池田は同訴外人が有する原告佐野、同磯部及び被告との間の前記各通行地役権設定契約上の地位を承継した。

4  しかるに、被告は、昭和四六年四月中旬頃、従来私道として原告らの通行の用に供せられてきたD地、E地上の別紙図面記載(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ニ″)を順次直線で結んだ線上に高さ約一・四メートルのコンクリートブロツクの塀を建設し、この塀で囲繞されたD地、E地上に植木を植栽して、本件私道の通行を妨害するに至つた。

5  よつて、原告らは、各自の有する本件私道に対する通行地役権の確認を求めるとともに、被告に対し右通行地役権に基づく妨害排除として右コンクリートブロツク塀及び樹木の撤去を求める。

二 請求原因に対する被告の認否

1 請求原因1項の事実中、丁地、D地ないしF地に関する主張は認めるが、その余は知らない。

2 同2項の主張は否認する。

3 同3項の(一)のうち、A地が公道に接していること、E地からF地を通り訴外野村所有地である私道を経て公道に至ることは認めるが、A地ないしE地が私道であることは否認し、その余は知らない。A地ないしE地の南側には農業用水路があつてA地ないしE地と平行に東西に走つているが、これは昭和四〇年頃にはコンクリートの蓋をした幅約三・四メートルの通路となつていたが、昭和四七年三月以降は暗渠となり、その上は道路であり、原告ら主張の如き私道を設ける必要はなかつたものである。

同(二)の事実は知らない。

同(三)のうち、被告が訴外西村から丁地、D地、E地とF地の四分の一の持分権を買い受けたことは認めるが、その余は否認する。被告が右土地を買い受けるとき、訴外西村からD、E地を私道として利用する話はあつたが、当時すでに南側の農業用水路が近く廃止され道路となる予定であつたため、それまでの間暫定的に宅地を私道として利用しようというものであつて、相互了解の付帯事項にすぎず、法律的拘束を受ける性質のものではなかつた。私道とするためには買受人にその宅地と地続きでない私道部分の一部をあわせて売り渡すのが普通であるところ、本件では甲地にはA地、乙地にはB地、丙地にはC地という地続きの土地を同一人に売り渡しており、私道とするものでなかつたことはこのことからも明らかである。

同(四)ないし(六)の事実は知らない。

4 同4項のうち、被告が原告主張の範囲にコンクリートブロツク塀を建設したことは認めるが、通行を妨害しているとの点は否認する。

三 被告の抗弁

1 仮に原告ら主張の通行地役権設定契約が存在したとしても、前記農業用水路が通路又は道路となつたときはA地ないしE地の私道性は自動的に消滅し、原告ら及び被告はA地ないしE地の土地中各自の所有部分を建物敷地又は庭として使用できることが黙示に約定されていたものであるところ、右農業用水路は昭和四七年三月下旬までに下水道化され、暗渠となつて、地上部分は道路(道路法上の道路ではないとしても少なくとも公共用国有財産として杉並区の道路管理事務所が管理する指定外道路である。)となつたから、通行地役権は消滅した。

2 原告ら主張の通行地役権が存在するとしても、被告所有のD地、E地につきその登記はなく、被告は登記簿上かかる制限の在しない所有権を取得したものであるから、原告らはその通行地役権を被告に対抗できない。

3 以上の主張が容れられないとしても、原告ら主張の如くD地、E地につき無期限かつ無償の通行地役権が存在するとすれば、D地、E地に対する被告の所有権は私道の場合のように免税措置もなく一方的に忍従を強いられることになる。かかる通行地役権設定契約は民法二〇七条を不当に制限するものであつて、公序良俗にも反し、同法二八〇条但書により無効であるし、原告らの請求は権利の濫用にわたるものであつて、許されない。 なお、原告らはいずれも原告佐野の実子邦彦が本件私道と称する部分を車庫として使用することすなわち本件私道を廃道とすることに同意しているのであつて、原告らの本訴における主張は禁反言の原則に反する。

四 抗弁に対する原告の認否

1 抗弁1項中、原告らがその所有土地を買い受けた当時A地ないしE地の南側に農業用水路があつたことは認める。これは昭和四四年頃杉並区役所において危険防止と防臭のためコンクリート蓋を設置し、更に同四七年二月頃下水管を埋設して土を埋め戻し、同四八年三月頃地表面を舗装したが、これらは公共溝渠整備工事であつて、右変遷によつて水路が道路となつたものではなく、今でも公共用溝渠である。その余の主張は否認する。仮に被告主張の約定が存在したとしても、そこにいう道路は道路法にいう道路で建築基準法上も適法なものでなければならない。

2 同2項については、原告らは原告らと被告の相互間に直接通行地役権設定契約が存在すると主張するものであるから、対抗要件としての登記の存在を必要としないものである。

3 同3項の主張は争う。むしろ被告の行為こそ近隣の友好関係を破壊した非常識な行為である。なお、私道に免税措置がとられる例は少ない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  事案に鑑み判断の便宜上、本件で問題の私道の形成経過とその後の私道周辺の情勢の変化をめぐる事実関係から検討する。

成立に争いない甲第一ないし第一二号証、乙第四号証の一、二、第一〇号証、証人西村一郎の証言により成立を認めうる甲第一三ないし第一八号証と乙第三号証、原告磯部忠一本人尋問の結果により成立を認めうる甲第一九号証の一ないし一一、被告本人尋問の結果により成立を認めうる乙第八号証の一ないし三、撮影年月日については争いがなく被告本人が撮影した現場写真であることは被告本人尋問の結果によつて認めうる乙第九号証の一ないし七、証人西村一郎の証言、原告佐野辰春(後記措信しない部分を除く。)、同池田広、同磯部忠一及び被告各本人尋問の結果、検証の結果(第一、二回)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  東京都杉並区浜田山一丁目(当時は下高井戸二丁目であつたが便宜現町名で表示する。)七二四番の土地はもと訴外野村はる、同所七二五番の土地は同野村十郎の各所有であつたが、昭和三九年五月、西村不動産株式会社代表取締役訴外西村一郎(以下、西村という。)は右二筆合計約五〇〇坪のうち南側約一八三坪(全体として形状はほぼ四角で現在の本件甲地ないし丁地及びA地ないしF地に相当する。)を買い受けて四区画に分割して土地付建売住宅として分譲することを企て、昭和三九年五月一五日、地主両名を代表する野村十郎との間で買主を西村不動産株式会社として右約一八三坪を買い受ける契約を結んだ。

2  ところで、右約一八三坪の土地は、北側は右野村十郎(以下、野村という。)の所有である七二五番の残地、西側は公簿上は水路で実状は畦畔の跡地状の空地、南側はかつての農業用水路で付近の都市化に伴い既にその効用を失つて地下水・雨水・家庭排水が流れるドブ川(以下、本件農業用水路という。)、東側は第三者所有の宅地であつて、公道に接していなかつたので、右売買契約に際し、野村と西村は、野村所有の七二五番の残地の東側一帯を幅約四メートルの私道(以下、野村私道という。)とし、西村が分譲することになる建売住宅の買主が公道に出るための通路とすることを合意するとともに、西村においても買受土地中右野村私道に続く部分と南側農業用水路沿いの部分を私道(両者をあわせて本件私道という。)とし、買主が右野村私道に出るための通路とすること、西村は買主に分譲する際に野村においても本件私道の通行権を確保できるよう取り計らうこと、買主らの野村私道通行権と野村の本件私道通行権は相互に無償とすることをそれぞれ合意した。また、野村は、売渡しの目的たる土地について西村からの買主に対し中間省略の方法により所有権移転登記をすることを承諾した。

3  右合意に基づき、野村は、昭和三九年一〇年下旬、七二四番及び七二五番の土地から本件私道用のA地ないしF地及び住宅敷地用の甲地ないし丁地を分筆し(各土地の位置関係は別紙図面のとおり。)、かつコンクリート製の万年塀を建設して野村私道を宅地部分から区分した。

一方、西村は、その後昭和四〇年七月までに前記各土地を、そのうち一戸分のみは宅地のままで、残りの三区画は居宅を建築して建物とともに、順次買主に売り渡した。

すなわち、昭和三九年九月二八日訴外本宮謙二に甲地、A地、F地の四分の一の持分権を売り渡して同年一〇月二六日中間省略によるその旨の登記を経(ただしF地については昭和四〇年七月二日に経由)、昭和三九年一〇月二九日被告に丁地、D地、E地、F地の四分の一の持分権(と丁地上の建物)を売り渡して同四〇年三月二三日中間省略によるその旨の登記を経、同年一月三〇日原告磯部に丙地、C地、F地の四分の一の持分権(と丙地上の建物)を売り渡して同年三月三日中間省略によるその旨の登記を経、同年五月二〇日原告佐野に乙地、B地、F地の四分の一の持分権(と乙地上の建物)を売り渡して同年七月六日中間省略によるその旨の登記を経た。また訴外本宮は右買受け後甲地上に居宅を建築したが、昭和四一年一二月一〇日甲地、A地、F地の四分の一の持分権(と右建物)を原告池田に売り渡し、同月二一日その旨の登記を経た(以上の事実のうち被告に関する部分は当事者間に争いがない。)。

西村は右各売渡しにあたり、前記2の野村との間の合意内容、すなわちA地ないしF地は買主相互間において通行権の負担つきとなるとともに野村の通行権の負担つきともなる私道であることを説明し、さらに前記農業用水路が将来道路化することも見込まれるので、その実現の暁には私道敷を各買主の庭ないし敷地として使用できるように、甲地の買主にはA地、乙地の買主にはB地、丙地の買主にはC地のように各地続きの私道敷をそれぞれの買主に売り渡すことをも説明し、各自の了承を得た。

4  右分譲により、A地ないしF地は、西側端のA地付近では幅約三・二メートル、東側端に近いD地付近では幅約四メートルの私道となり、西村は甲地ないし丁地の建物敷地とA地ないしD地の私道敷との境界には大谷石と金属性フエンスを組み合わせた塀を設け、かつ同塀中丁地の南東角部分には隅切りも設けたので、右境界は一見して明瞭であり、野村私道の塀やF地と丁地の境界に建てられた塀とあわせて、原告らの通行のための本件私道の存在も明らかであり、原告ら及び被告にとつて本件私道から野村私道を通つて公道に至るのが公道に出る唯一の通路であつた。

ところが、農業用水路は、昭和四二、三年頃、幅〇・三メートル長さ一・八メートルのコンクリート板を敷きつめて蓋で掩われ、その上を事実上人が通行できる状態となるに及び、被告は最早本件私道中A地ないしD地の部分は不要であるとして、昭和四六年四月頃、D地、E地上別紙図面記載の位置に高さ約一・四メートルのコンクリートブロツク塀を建て、その中に樹木を植栽して本件私道の一部を塞いだので、原告らは本件私道中D地の部分全部とE地の一部分を通行することができなくなり、野村私道に入るためには農業用水路上のコンクリート板の掩蓋の上を通り、E地中東側部分に被告が残した通行可能な部分を通つてF地に至るほかはなくなつた(被告がD地、E地上にコンクリートブロツク塀を建設したことは当事者間に争いがない。)。

この時点までにA地及び甲地の西側は未舗装の道路状の土地となつており、人の通行が可能なため、原告らはA地から右土地を通つて北方へ通行でき、また農業用水路をA地より西に約五五メートル辿ると公道に至り、A地から東に約二〇五メートル辿つても公道に至る(A地ないしC地と農業用水路の間は生垣がわりのヒバの木などの生育のため、私道からの出口はA地とE地のみである。)ので、原告らは被告の右塀建設によつても他に公道に出るための通路をもたないわけではなく、かつ右通路はいずれも三メートル余の幅員を有し自動車の通行も可能であるが、最寄りの京王井の頭線西永福駅に至るためには野村私道から公道に出るのが最短距離であつて、原告佐野及び同磯部が野村私道に入るためにはいつたんA地まで逆行せざるを得ないこととなつた。

5  原告らの本訴提起後の昭和四七年初め、杉並区は公共溝渠整備工事として前記水路にコンクリート製下水道管を埋設し、覆土したため、本件農業用水路は未整備の道路の外観を呈するに至つた。さらに杉並区は昭和四八年二月から三月の間に、その上をアスフアルト舗装し、道端にはL字型側溝を施設し、本件私道の東西延長約二六〇メートルの間に五本の街路灯を設置したので、かつての農業用水路は事実上の道路化するに至つた。このような変化は甲地及びA地の西側の公簿上水路である部分についても同様である。

杉並区は右A地ないしE地の南側の水路を廃止してはいないので、右事実上の道路は建築基準法四二条にいう道路には該当しないが、舗装路上を人が通行することを容認しており、ただ自動車の通行は禁じて、車馬の乗り入れを妨げる逆U字型の鉄柵を舗装路上の随所に埋めこんでいる。

以上のとおり認定でき、原告佐野辰春本人尋問の結果中将来一定条件のもとで本件私道を廃止する旨の了解が存在しなかつた旨の部分は、証人西村一郎の証言、原告池田広、同磯部忠一及び被告各本人尋問の結果と対比すると措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

二  右に認定した事実によれば、本件D地及びE地については、まず訴外本宮と同西村との間で甲地のための通行地役権設定契約が締結され、次いで訴外西村と被告との間の土地建物売買契約に付帯して乙地及び丙地のための通行地役権設定契約が締結されたものというべきであり、原告池田は訴外本宮から甲地を買い受けることによつてこれに従たる権利である右通行地役権を承継取得し、原告佐野及び同磯部は訴外西村が被告に対して有した通行地役権を、乙地、丙地を買い受けることによつてこれに従たる権利として承継取得したものといえる。

三  被告は、本件農業用水路が道路化した結果、通行地役権設定契約における消滅時期の特約に基づき本件通行地役権が消滅したと主張する。

しかして各通行地役権設定契約の当事者間で将来農業用水路部分が通路となつた場合には本件私道を廃止してA地ないしE地(またはD地)を庭として使用できる旨の了解があつたことは前認定のとおりであつて、これにより通行地役権設定契約に解除条件が付されたものと解されるが、A地ないしE地の南側に出現するに至つた舗装路が法律上未だ水路であつて建築基準法四二条にいう道路には該当しないこと、甲地ないし丙地がその東西及び北側で公道に面していないことはいずれもさきに判示したとおりであり、かつA地ないしF地の本件私道及び野村私道が道路位置の指定を受けていないことは弁論の全趣旨により明らかであるから、原告らは(被告も含めて)建築基準法上増改築や新築を許されない敷地に居住用建物を有するものであり、被告がD地及びE地を塞いで通行不能とした場合、原告らは建築基準法四三条による接道距離の基準を満たす可能性を失うことになる。

このような原告らの法律上の地位に鑑みると、本件農業用水路が暗渠化され人の通行が事実上可能になつたからといつて、本件通行地役権の存在の必要性は消滅したものとはいえず、したがつて本件通行地役権設定契約に付された解除条件が成就したものとはいえない。

よつて、被告の前記抗弁は理由がない。

四  被告は、原告らが本件通行地役権につき登記を有しないからこれが存在を被告に対抗できないと主張する。

しかし、私道負担つきの土地つき建売分譲住宅を分譲者から購入する者は、私道敷の所有権が該私道を通行しないと公道に至ることのできない他の分譲地購入者の通行を忍受しこれを妨害してはならない義務を負うことを知りながら私道敷を取得する限り、承役地につき通行地役権の登記がないことを理由としてその対抗力を否定する正当な利益を有する第三者であるとはいえない。

前認定のとおり、被告が訴外西村からD地及びE地を買い受けた当時、A地ないしF地の本件私道はすでに分筆登記され、D地及びE地と丁地とは大谷石と金属性フエンスを組み合わせた塀により截然と区別され本件私道の存在を明らかにしていたのであり、かつ被告は訴外西村から説明を受けて本件通行地役権の負担を承知のうえD地及びE地の売買契約を結んだものであるから、本件通行地役権の登記欠缺を主張する正当の利益を有する第三者にはあたらない。

したがつて、この点に関する被告の抗弁も理由がない。

五  被告は、本件通行地役権設定契約が私道敷所有者に過重な負担を課する点で公序良俗に反し無効であると主張し、また原告らの本訴請求が権利の濫用であると主張する。

しかし、本件の如く分譲地購入者間で相互に私道敷を拠出しあう通行地役権設定契約は近隣の情誼にかなうものであつてなんら公序良俗に反するところはないし、前認定の本件私道の必要性が現存する以上本訴請求が権利の濫用にわたるものともいえない。

また、被告は原告らが本件私道を自動車の保管場所とすることを承諾することにより廃道に同意しており、本訴における主張は禁反言の原則に反すると主張するところ、成立に争いない乙第一二号証、第一三号証と各原告本人尋問の結果によれば、原告らが原告佐野の息子邦彦において本件私道中のB地の部分を乗用自動車の保管場所とすることを承諾し、関係官庁に提出すべき承諾書を作成した事実を認めることができるが、被告本人尋問の結果により成立を認めうる乙第九号証の七(撮影年月日の点は争いがない。)及び検証の結果(第一、二回)によれば、B地上に乗用自動車を駐車してもなお人の通行可能な幅員が残されることが認められるし、また右承諾書は被告に対するものではないから、かかる事実があつたからといつて、被告との関係で本件私道を廃止する意思表示(すなわち通行地役権放棄の意思表示)をしたものとは解されず、この事実をとらえて原告らの本訴請求を信義に反するということもできない。

したがつて、この点に関する被告の抗弁も採用できない。

六  被告がD地及びE地上に本件コンクリートブロツク塀を建設しその塀の中に樹木を植栽して所有し、原告らの右D地及びE地の一部に対する通行を妨害していることは前述のとおりである。

そうすると、これが撤去により通行妨害排除を求める原告らの請求及び通行地役権存在確認を求める原告らの請求はいずれも理由がある。

七  よつて本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、仮執行宣言を付するのは相当ではないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 稲守孝夫)

物件目録(地籍はいずれも東京都杉並区浜田山一丁目)

(一) 七二四番九

宅地三三・一五平方メートル(一〇・〇三坪)………(D地という。)

(二) 七二五番三

宅地一五・九六平方メートル(四・八三坪)………(E地という。)

(三) 右(一)および(二)の地上に存在するコンクリートブロツク塀(別紙添付図面中、(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)および(ニ″)を順次直線で結んだ線上に設置されたもので、高さ約一・四メートル)ならびに両地上に成育する樹木

(四) 七二四番三

宅地三一・二〇平方メートル(九・四四坪)………(A地という。)

(五) 七二四番五

宅地三二・〇三平方メートル(九・六九坪)………(B地という。)

(六) 七二四番七

宅地三一・九六平方メートル(九・六七坪)………(C地という。)

(七) 七二五番四

宅地六〇・九九平方メートル(一八・四五坪)………(F地という。)

(八) 七二四番二

宅地七五・六六平方メートル(二二・八九坪)………(甲地という。)

(九) 七二四番四

宅地九七・九一平方メートル(二九・六二坪)………(乙地という。)

(一〇) 七二四番六

宅地一〇二・七六平方メートル(三一・一四坪)………(丙地という。)

(一一) 七二四番八 宅地一〇七・八六平方メートル(三二・六三坪)

七二五番二 宅地 一五・七六平方メートル(四・七七坪)

………(丁地という。)

図〈省略〉

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